ごきげんよう。弱医です。
だいぶ久しぶりの投稿になってしまった。 お待たせしてしまい、申し訳ない。
突然だが、弱医は、自分で言うのもなんだが、とても欲深い人間だ。
今日は、そんな欲について掘り下げてみようと思う。
人間の原動力は、欲。
そして、叶えられない欲は、無意識のうちにコンプレックスとなる。
自分自身を理解する上で、最も重要なことは、自分自身の「本当の欲求の正体を知ること」、そして「コンプレックス」に気づき、素直に受け入れることが出来るかどうかである。
そこから始まる。
自分はどうなりたいのか
どうしたいのか
何を望んでいるのか
弱医は、人一倍、欲深く、プライドが高く、そして捻くれた人間だと自覚している。
コンプレックスは、お金と能力
弱医は、現時点では、お金に完全に自由な人生は叶えていない。
今でも働き続けることで、何とか生計を立てながら生きている。
だからこそ、お金に完全に自由な人生、それを成し遂げている人に負けたと思いたくない、それはつまり、お金が弱医にとってのコンプレックスなのだ。
お金が大事だと思っているからこそ、そこにコンプレックスが生じており、「人生はお金だけじゃない」と思いたいのである。
実際、「人生はお金だけじゃない」と思って生きている。
これは、まさに、お金に対してコンプレックスを感じていることの裏返しである。
20代後半くらいまでは、お金が全てだと思っていた。そういう打算的な考えから医師を目指した部分もある。しかし、それなりに経済的、物質的な充足を手にしてみても、それで心は満たされなかった。
何故かと考えた。
理由は、どれだけ稼いでもキリがないから。上には上がいるから。自分自身が、めいいっぱい働いて稼ぐという構図で考えていたからかもしれない。
自分自身のプライドを守る為、「お金が全てではない」と考えることで自分を守っている。これは自己防衛の一種である。
お金ばかりを追い求めてもキリがないという諦め。
その経験が考えを加速させた。
まあ、不労所得ではなく、ずっと働き続けることでその対価としてお金を得ているだけだったからだとは思うが、とにかく、収入が増えて沢山モノを得られるようになっても何故か満たされず、人生の幸せに近づいたという実感は得られなかったのだ。
でももし、数億円のお金が銀行口座に入っている状況が手に入ると言われれば、迷いなくそれを選ぶだろう。
「人生はお金じゃない」と宣いながらも、それを選ぶ自分がいる。
これが全てだ。
「お金で得られる幸せ」をもっぱら追求することから逃げた。お金を稼ぐことを第一に考えていた人生から距離を取ろうと決断したのだ。
お金は絶対に必要だ、あればあるだけ良いし、なくて困る事はあっても、あっても別に困らない。
しかし、それ自体が目的化し、ひたすら追いかけてしまうと、人生のバランスが崩れ、結果的にトータルでは幸せに繋がらない可能性が高い。
これが私の辿り着いた答えである。
嫌悪感とコンプレックス
セレブ、金持ちが幸せそうにしているのをみても、本心にあるには、嫉妬や妬み、要するに自分はプライドが高いので、そういう人を見て、負けたくない、悔しいのだろう。
「人生はお金だけでは幸せになれないだろう、そうじゃないだろう。」
「きっと、人生が満たされないからモノで自分を満たし、他者に見せびらかすことで、自分の心を埋め合わせしているのだ。」
お金は数字。
はっきりと優劣が付いてしまう。
つまり、財という視点で判断すると、勝者と敗者、順位が明確に別れる。
人生において、明確に「負け」を突きつけられる事に対する拒絶感、負けを認めたくないので、冷めた目でそういう人を見ようとする自分がいる。
ほんとうにそんなものを気にしていない人は、おそらく何も思わないはずである。
お金にコンプレックスがあるからこそ、人生の幸せはお金だけじゃないと思いたい。
そう思わないとやってられない自分がいるのである。
そして、そう考えることで自分を保っている。
もう一つは、あくなき欲求
お金で買える幸せを沢山持っている人よりも、自分の方が幸せだと思いたい。
つまり、お金で買える幸せだけでなく、お金では買えない幸せだって手に入れている人生を送りたい。
なんとも欲求の塊だ。
どっちも手に入れたい。バランスよく充足させたい。
最強に欲深い人間だ。
死ぬ間際になって、こうしていればよかったと後悔したくない。お金だけあっても寂しい人生は嫌だ。
「お金で買えるような幸せだけではなく、お金では買えない本物の幸福に気づいている人間になりたい」という欲求。
つくづく、欲張りなのである。
自分のASD、ADHD的な特徴
弱医は、すぐに全体を俯瞰して見てしまうのである。
つまり、全貌がだいたい解ると途端に興味を失う。
ある程度の生活をしてみて、あ、こんな感じね、と、だいたいわかった時点で、お金を儲けることを最優先した人生に興味を失った。
もっと別の軸から本物の幸せとは何かを知りたくなった。
弱医にそういう特徴があるのも、何度も言うが、欲が深いからだ。
実際、儲かるとしても、自分の興味がないことに沢山の時間を費やし、お金を稼ぐばかりの人生に価値を感じないし、本当に物欲もなくなった。
しかし、幸せな人生を生きたいという意味での欲は尽きない。
お金持ちのコンプレックス
一方で、お金で買えない幸せが得られない人にもコンプレックスがある。
もし、お金で買えない幸せが手に入らないような現実を生きていたら、その隙間を埋めるように、お金で手に入る幸せで埋め合わせしようとするだろう。
物質的な充足を持って、自分は幸せなんだと無理矢理、自分に言い聞かせるかもしれない。
自信のなさ、心の弱さを補うために、手っ取り早くお金で買える物で自分自身を武装するかもしれない。
寂しさを紛らわせようと、わかりやすく人から認められる、注目される自分になろうとするかもしれない。
お金とは、自分のコンプレックスを自分次第で解決出来る手段。
家族、生い立ち、トラウマ、ルックス、学歴、病気、など、
自分ではどうしようもない部分にコンプレックスを抱えている時、
それを埋めるために、お金でコンプレックスを代償する、あるいはお金で解決できる手段で代償しようとする。
例えば、愛着の問題、子供時代に愛されて来なかったというコンプレックスを、愛されるべき自分であることを確認するために、お金で解決できる形で代償しようとする。
例えば美容整形、あるいは、SNS上で「人気者である自分」、「美しい自分」、「素晴らしい自分」を作り上げて、称賛を欲する行為、現実世界で満たされない部分を穴埋めし、無意識に自分を安心させようとする。
自身の根底にある欲深さ
いろんな知識を得たい、いろんな景色を見たい、いろんなことが出来るようになりたい、自分の付加価値を高めたい、市場価値を高めたい、いろんな視点を持ちたい、いろんな仕事をしたい、お金もそれなりに稼ぎたい、良い暮らしが出来るくらいはお金が欲しい、自由もそれなりに欲しい、やりがいも欲しい、医者以外の仕事もできるようになりたい、自分が意義を感じる仕事をしたい、興味のないことはしたくない、無駄なことはしたくない、スキルアップもしたい、せっかく手に入れた肩書きやスキルも出来れば失いたくない、結婚し家庭も上手くいっても欲しい、子供にはそれなりの暮らしをさせてあげたい、良い教育を与えてあげたい、健康に育って欲しい、etc
思えば、人生とは、欲の連続体である。
自身の欲求と、それと表裏一体に存在する自身のコンプレックスを受け入れた時、いかに生きるべきかが自ずと見えてくるはずだ。
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